朝のコインランドリー

洗うものは山ほどあるんだけど

2015-01-01から1年間の記事一覧

夜空を駆ける犬

おじいちゃんに大きな犬のぬいぐるみをかってもらった。ちゃいろとしろのミックスで、サーティワンのキャラメルリボンみたいな色をしている。わたしのいえでは犬をかっていない。ママがアレルギーをもっているからだ。だから、犬のしゅるいにはくわしくない…

サハラ砂漠に落ちた星

わたしの夏が帰ってしまった。これは8月31日に呟かれなかった言葉だ。夏というのは、ここでは比喩であって大学生である私の夏季休暇は優に二週間余していた。この夏、私は異国の地で十人の子どもと三週間を過ごした。血の繋がりも地縁関係もない小学生、中学…

チューズデー

私の火曜日は二限からはじまる。二限 講義今回のゲストスピーカーは視覚教材、つまりはパワーポイントを用意してなかった。学生の散漫した注意が空気中に漂っている。大学には時計のかかっていない教室がたくさんある。終着点の見えない話は退屈な愚痴のよう…

宇宙の輪廻と辞世の句

巡るものがある。恩と呼ばれる事が多いらしい。それらは目に見える形で与えられつつ目に見えないものを運ぶ。恩は形式である。ただし形骸では無い。何故なら返すことによってのみ保たれる関係が在るからだ。昨日は西武ギャラリーに行った。そこひなき闇にか…

古いアルバイト先と新しいアルバイト先について

今月から、新しいアルバイトを始めた。通学路の途中にある個別指導の塾で、文系科目を教えている。ひとつ前のバイト先も塾だった。教える科目、対象にほぼ変わりはない。前の塾でやっていた事は積み木に似ている。一回一回の授業で先生はひっしになって組み…

バーバライズ

言葉は、衝動的に口をついて出る。ここまで一気に書き進めて夜も明けてしまったけど、今に始まったことではない。言葉のコントロールが効くようになったのはつい最近で、何でもかんでもつい口に出してしまった時期は周りの大人に叱責ばかりされていた。よく…

イマジン

ある哲学書に、「思うことと考えることは違うのだ、それを区別しなければならない」と書いてあった。思惟と思考は、異なる。“考えることをやめない”のではなく、“思うことがやめられない”のでは、と思う。何かを見るにつけ、聞くにつけ、化学変化に似た作用…

尊敬する人物がいる。尊敬、や憧れという言葉は遠ざけているようで好きじゃないけれど顔を見ると安心するような、安心よりもっと幸福な感情が起こる相手が身近にいる。あまりにその人物の近くに行きたくなった時期があって、寄せては返す波に、からまる海藻…

waiting for

「ゴドーを待ちながら」という作品がある。フランスのものだ。わたしはこの作品についてほとんど何も知らない。インターネットの海で何度かすれ違い、シラバスの片隅に見かけたことがあるくらい。何かを待つということは、消極的だろうか。待つことは祈るこ…

ホークラックス

言おうと思う。分霊箱の在り処を。以前、別のところに書いたことだけれど、アカウントは分霊箱のようなものだと思っていて、ある人は魂を一つの場所にかくしておくことは危険だと考えて七つに分断した。分霊箱は破壊されても本体は気付くことがない。果たし…

道なかば

「行きたい場所は行けるうちに、会いたい人には会えるうちに」のモットーに「書きたいことは書けるうちに」を追加しようと思う。立て板に水のように言葉を流しているけれど、やはり一度考えた事は言葉になる前から逃げていく。どうしたって言葉しかないのだ…

escape 続き

エスケープの感覚がない遠出もある。例えば卒業旅行。友達とふたりで広島、島根、山口を巡るツアーに参加した一年前の春。ちょうど広島にいた時と時期がかぶる。人がいた。会話する、同じ空間を共有する他人。もう一つの卒業旅行は三重県にある伊勢神宮周辺…

escape

空が青い。空が青い。生きなければならない。しばらく日本という国を留守にしていろいろなことを考えた気がする。自分が何によって成り立っているのか、とか自分は誰なのか、とか。親から離れて、故郷から離れて、インターネットだけ持って逃げた先。そう、…