朝のコインランドリー

洗うものは山ほどあるんだけど

バーバライズ



言葉は、衝動的に口をついて出る。
ここまで一気に書き進めて夜も明けてしまったけど、今に始まったことではない。

言葉のコントロールが効くようになったのはつい最近で、何でもかんでもつい口に出してしまった時期は周りの大人に叱責ばかりされていた。
よく云われるのが、「一言余計だ」
余計と決めているのは聞き手じゃなかろうか。
こちらとしては、その最後の一言まで含めてメッセージなのだけど。

言葉を話すのではなく、書く方に重きを置くようになってから均整が取れ始めた気がする。書くスピードが話すスピードに感染(うつ)り、緩和されたのではないかと思う。


アメリカにいる間、一度ブログを書こうと思ってアプリを開いた夜があった。

書けなかった。言葉が出てこなかったのだ。文字通り。
話し言葉に問題はなく(これは日本語に限る)、書き言葉にだけ、どうやら支障があったらしいのだ。言葉が溢れる、というのは案外居る場所に影響されているのかもしれない。

わたしの母語はどう逆立ちしたって日本語なのだと、帰国して後しみじみ思った。