朝のコインランドリー

洗うものは山ほどあるんだけど

時を刻む

 

学生時代に通っていたコーヒーショップが閉店すると聞いて最終日に覗きに行った。多くの人に愛された店の最期は、人の列が絶えない盛況ぶりだった。

こんなにも寵愛されているならば、廃業することもないのだろうけれど、個人店というのはそれなりの理由がそれなりの時間を経て閉店という結末に至る。

私が大学生だった5年間はもはや同じだけの月日を遡るほど遠い。今もこれからも過去は過去だ。並ぶであろうと事前に推測できたため、大学の近所に住む当時の恋人に声をかけて連れだったが、思ったより話は弾まず僅かに悔いた。

お互いの仕事の話と現在彼が付き合っている年上の女性との生活の話をして、母校のキャンパスをうろつき、めいめいにジュンク堂で気になる本を物色し駅前で別れた。

キャンパスはもう居場所とは呼べず、慣れ親しんだ街の風景も相貌を変え、元彼の香水はつんと鼻についた。新卒の頃に別れて以来も細々と会い続けた彼とも、これを限りに顔を見ることはなかろうと感じた。

適切に更新されてゆく歳月は、万人の前に静かに横たわる。口にせずとも分かってしまう老いになすすべはない。

立ち読みしたヘミングウェイの批評文は横滑りして頭に入って来なかったけれど、ばかばかしくて読まなくてもいいくらい普遍的価値観のように思えた。

未だ成熟しない心が、個体群のなかで窮屈に思えて仕方がなかった。