朝のコインランドリー

洗うものは山ほどあるんだけど

履修状況

 

 

授業がたのしくて嬉しい。

誰に伝えるのが最適かわからないのでブログに書くことにする。先に卒業していった友人たちに話すと自慢のように聞こえてしまう気がする。塾の生徒にたまに話す。長くなっています。

 

私はレポートや論文を執筆するのが苦手なので、院には行かない。授業を聴いて、内容を落とし込んだり、それに関する自分の意見を述べるのは好きだ。自分でも、発言意欲の高い学生だと思う。25人在籍するゼミでは、毎授業の発言の半数は私によるものだ。引いてくれていい。

ゼミでは好きなことをやっている。そのために留学したくらいだから今はたぶん大学生活で一番楽しい。私の専攻はイギリス詩だ。古い作家も新しい作品も取り上げる。テキストのテーマは多様性の祝典。今日までの回で20の詩を扱った。一度就職活動を理由に欠席しているので、実際に私が触れた詩の数は18だ。

詩を読むとき、理性と感性の両方が刺激される。英語や日本の古語など、知っている言語でも自分の普段使わない言葉が良い。外国語の学習は苦手なので英詩と和歌しか読めないけど、中国語の勉強がうまくいけば漢詩(または中国詩)も読めるようになるかもしれない。

イギリス詩のゼミには留学期間を跨ぎ、二年在籍している。留学中にCreative Writingのセミナーで勉強したことやRomanticismの講義を受講したことが大きな遺産になっている。あと、やっぱり日本語で思考する方がわたしには向いていて、今のゼミでは話したいことや読みたいことが不自由なく自分の使いなれた言葉で吸収し、放出できるので嬉しい。翻訳の難点を抱えていても、ストレスなく読めることは奇跡に近い。

ゼミでやるのは、翻訳と難解箇所の列挙されたレジュメを読み、原文と照らし合わせながら解釈を与えていく作業だ。正しい読解ができる時もあるし頓珍漢な読み方をしてしまう時もある。それは日本文学を日本語でやっても同じだと思うので気にしない。私は発言率が高い分、打率もそこまで高くはない。好きなことについて話すのが好きなので、的外れなことを言った後でも挙手はずっと続ける。

うちのゼミは三学年に分類される。厳密に言うと3、4年次対象だけど一年休学留学をしていた学生は5年生扱いだ。直近、英語圏で一年間暮らしていたので少なからず読解力に差異があるのでその区分は仕方がないと思う。アメリカで長く生活していた4年生もいるが、ゼミの参加率は低いので英文学を読み解くことに関してあまり関心はないのだと思う。

ゼミの約半数はやり過ごす人たちで構成されている。英文学専攻だけど英文学に興味のない学生もいれば、他のゼミの選考に漏れて仕方なく詩が専門の教授に付いている学生もいる。それは制度上仕方がないことで、また、参加度合いは学生の自由意志に委ねられている。し、そうであるべきだ。

そしてそれはある意味、私にとっては好都合だ。司会者は学生なので発言は感謝されることが多いし、萎縮されないよう気を遣って言葉を投げることができればレジュメをきちんと作ってきた学生へのモチベーションにもなる。私は5年生なだけあって、そこのアプローチには敏感だ。

学期の始めから自分が楽しくなるために発言をしていたけど、自分が発言しやすくなるための環境づくりもしてきた。イギリス詩、イギリス文学に興味があって受けている学生、そのポテンシャルのある人たちのことはもうすぐ卒業する身として育てていきたいし、何かを残していきたいと思う。祈りに近い。

実際、誰に頼まれたわけでもないけれど学生の司会制度を導入し、ゼミの懇親会としてお酒を飲むイベントを企画している。学年の差異やクラスのアウェイ感はだんだんと減っていく気がする。ゼミがコミュニティとして機能する日も近い。

 

もうひとつ、TAとして他学部のゼミに所属している。学年も一人だけ違うし、論文は提出しないかもしれないけれど合宿にも同行する。こちらも楽しい。この、社会学部の3年次ゼミは私が就職後やりたいことの勉強ができるので大変おもしろい。全てが勉強になる。下の学年と言えど、専攻として社会学の勉強をしてきた学生に、私はむしろ萎縮する(しているように見えないかもしれない)。が分野の被る社会学の講義を並行して受けているので最近追いついてきた気がする。が、学部の差は大きい。

TAとして受けているので、どうすれば受講者が授業に参加しやすくなるかについて教授と話す機会がある。真面目そうに見えない学生でも結構楽しんで参加しているので、発表者がレジュメを読み、教授がコメントする間に集中できるかできないかが大きい気がする。要は環境づくりで改善される点が多いということだ。教授のコメントをみんなが拾えていない時もあるので、発言を求められたら(クラスがシーンとした時に振られることが多い)教授の言った内容を整理して簡潔に繰り返し、自分の意見を付与する形で発言する。言葉がどこまで共有されているか、が小さなクラスでは大切だと思う。

社会学部の3年生たちは優しくて、会話が発生すると距離を置かないでくれる人たちばかりでアウトサイダーでも居やすい。

 

あとひとつ、大人数が受講しているけれど学生の参加度が高い講義を受けている。英語で行なわれる国際社会の授業だ。

このクラスは欧米からの留学生と他大学の学生がいること、1年から4年までの全学部生対象であることに加え、講師が招くゲストスピーカーの数の多さと幅に特徴がある。まさに多様性の祝典だ。

グループプレゼンテーションを最終授業に行なうため、普段からグループ作業が多く設定されている。人と話すことは好きなのでとても楽しい。私のいる6人グループは私以外1年生だ。ドラマ逃げ恥が放映されていた時、彼らは高校2年生。気が遠くなる。入学年度が4年異なる。

今日プレゼンテーションの準備をしていて感じていたけれど、大学1年生であっても社会のニュースにアンテナを張っている学生が多い。また見識のあるなしに関わらず魅力的な人が多い。

ここまで距離が近く話すことは自分の専攻ゼミではなかった。再来週の飲み会はお酒抜きにしても楽しみだ。