朝のコインランドリー

洗うものは山ほどあるんだけど

escape 続き



エスケープの感覚がない遠出もある。例えば卒業旅行。友達とふたりで広島、島根、山口を巡るツアーに参加した一年前の春。ちょうど広島にいた時と時期がかぶる。
人がいた。会話する、同じ空間を共有する他人。
もう一つの卒業旅行は三重県にある伊勢神宮周辺を目指す夜行バス。こちらは別の友達四人で行った。
意識は遠くまで行かない。誰かが隣にいるときには。

夏、去年の夏に一人欠いての三人で京都へ行った。二人が眠る朝、ひとりで清水の方まで散歩した。意識の歩く距離は測れない。
家族とは、大阪と兵庫に行った。そもそも家族のいる場所で独立した個が育つことはないと思う、わたしは。

これらは“今、ここ”ではないけれどやっぱりエスケープではない。距離や時間こそ縮小されど、一人で美術館に行った日の方がよほど遠くまで来た気になる。

“ひとりで”というのが大事なのだ。
少なくとも、わたしにとっては。