朝のコインランドリー

洗うものは山ほどあるんだけど

song of experience

記憶をなくすのは二度目だ。

緑伸びやかに萌え出づる三月、わたしの人生の節目に立ち微笑みを以って導いてくれた人たちと卓につく機会があった。再会を喜び、笑顔がたえずお酒は進んだ。その席でわたしは一番若く、折しも就職活動を始めてまもなかったのでやや鬱屈した気分を晴らすために、遠方からの来訪者を歓待するいう名分も手伝って、浅慮にグラスを呷っていた。そこには母もいたのだけれど、わたし自身同様、彼女もわたしの能力を過信していたようだった。
自己の能力を盲信するなんてまったく若者らしい。痛い目を見ることなんて分かりきっているのに。軽率に酩酊したわたしは、しかし母を騙せるくらいの意識と狡猾さを持ち合わせていたので、彼女と別れたあと三軒目の店の暖簾をくぐった。その晩の記憶はその店で頼んだ一杯を下したところからホワイトアウトしている。断片的に 大丈夫か、とか いい加減にしろ、とか 帰るぞ という言葉を聞いていた気もするが自分の口から発した言葉はひとつも覚えていない。視界の情報はゼロ。商店街のアーケードから家族の車に乗せられ、家の前で降ろされたわたしは走って逃亡したらしいから目は見えていたのだと思う。もし自動車が飛び出してきていても避けられなかっただろうし、郊外の住宅地と言えど変質者に捕まる可能性も無くは無いわけなので、翌朝ベッドの上で急に目覚めた時は命があることが不思議だった。直後生まれたことを後悔するほどのものすごい頭痛が襲ってきたけれど。

ところでわたしが護送の途中で逃げた先は、家のそばにある小さな公園だった。ブランコとすべり台くらいしかない10m平方程度の公園はピクニックシートのようにお手軽だ。母がわたしを見つけた時、わたしはちょうどブランコから落ちて地面に尻餅をついたまま両手で宙を掻いていたらしい。むしろ完全に変質者である。また逃げられないように母は公園の外から観察していたらしいけど、できればビデオでも撮っておいてくれたら良かったのに。もしかしたら本当に宇宙人と喋っていたのかもしれないのに。きっと記憶がないのは、宇宙との通信障害の影響により脳のごく一部のフィルムが焼き切れてしまったからなのに。

本当に厭だ。
その言葉にはわたしの魂の叫びが込められていた。生まれてしまったこと、生きなければならないこと、いつか死ぬこと。

逃げたくて仕方のないことばかりだ。


お酒ってすごいね。人が人でなくなるのに必要なのは、死ぬ四歩手前くらいのアルコールだけ。