朝のコインランドリー

洗うものは山ほどあるんだけど

キープアウト

 

 

世の中にはモラルや倫理という観念がある。
常識と言われることもある。
わたしはもともとそれらの類を遵守する人間だったはずだけど、いつからか率先してそのピンと張られた黒と黄色のテープをくぐり抜けるようになった。子どものころ、そういうゲームが流行っていたよね。赤信号 みんなで渡ればこわくない。
わたしはもはや子どもではないから、みんなで渡らなくても怖くはない。子どものころにそういう時期を済ませていたら良かったのかも、と最近になって思う。なぜならそういうことをする子どもというのは、周りの子たちが一度そのゲームに飽きてしまえば同じように元のいい子に戻れるのだ。子どものいたずらとして大抵のことは見逃してもらえる。
ある晩、踏切のカンカン鳴る音に気付かなかった。降りてくる遮断機が頭にポンと触れて自分が閉じてゆく線路の内側にいた事を知る。
真夜中近かったしもともと人気のない道だったから私のことを見ている人はひとりもいなくて、ひょっとするとそのまま線路の上に立ってカーブを描いてやってくる電車を待っていたとしても誰にも気付かれなかったかもしれない。

一線を越えた後、別に世界が変わったようには思えなかった。こんなものか、と次の線を踏み越えてゆくたびに不思議だったけど、だんだんわかってきた。世界の様相は変わらないまま、自分の内面が様変わりしていっていることが。
気づいたところで、もうどうにもならないのだけど。