朝のコインランドリー

洗うものは山ほどあるんだけど

face up

 

 

最近悲しいことばかり書いているので明るい話をしたいと思います。何がいいかな。

芝生の話をしようと思います。

 

 

芝生に寝そべるのが好きだ。地面であればテニスコートでも、屋上でも、なんでもいいけど空が見える場所がいい。

仰向けに横たわると視界いっぱいに空が広がる。室内で横になると天井が目に映るが、野外で寝転ぶと首に抵抗のない自然な状態のまま視界を空で埋めつくすことができる。

それを発見したのは中学の頃、初めて野外BBQに出かけた日のことだった。今はもう再開発されて綺麗になった河原は10年前、放置された雑草が伸び放題の青くさい空き地。お腹が満たされるまで飲み食いし、歳下の子供たちと鬼ごっこをしてクタクタになった全身を河原に投げ出した時の青い空が、首を伸ばして見た時の景色とは違って見えた。青。雲。背中に感じる芝のチクチクと地面の熱。

似たような体験を市民プールでもした。もう取り壊しが決まり、市民を招くことのなくなった近所の市民プールは夏の休息所だった。徒歩で行けるのでひとりでも出かけた。人の少ない閉園時間間際、仰向けに、手足の力を抜いて水の浮力だけに身体を委ねている時、視界は穏やかな夕暮れの青だった。

テニスコートに寝転ぶ事はそうそうない。基本的に東京のテニスコートは関係者のみ立ち入りが許可され、使用時間外そこは施錠されている。わたしはプレイヤーではないので、東京(もしくは千葉)の野外テニスコートでは家族の付き添いとして端っこのほうに突っ立っていた事しかない。あとそういう時のコートは大体試合中なので寝そべっていては危ない。

ニューヨーク市郊外のキャンプ場で生活していた夏、夜だけインターネット環境が確保できた。業務中の昼間は必要最小限のみ家族や友人からのメッセージを確認するためにPCが雑然と置かれた部屋に行きWi-Fiを接続していたが、22時以降27時まで食堂に従業員用のWi-Fiが設置されるので、子供たちが寝静まる23時以降固いベッドを抜け出して小高い丘を登り、人と通話をしたりツイッターのタイムラインを見るためにWi-Fiスポットへ向かった。どこまでもインターネットに毒されている。(実際わたしの寝泊まりしていた小屋は食堂から近かったため毎夜の習慣だった。当時は未成年だったので飲酒は禁止されていたということもある)

食堂から小屋へ帰る道の右手に広いテニスコートがあった。当然深夜なので練習してる人もおらず食堂のぼんやりとした照明によってのみかろうじて視界が確保されていた。今思えば警備もない無法の状態で(キャンプの約半数がティーン、20代が三割とかだった)野外セックスしている人たちが居なくて幸いだったと思う。気付く範囲ではそういう場面に遭遇しなかった。

テニスコートは少し湿っていた。2週間もキャンプ場で暮らして、私の衛生観念は都市の育ちとは思えないほど衰退していた。なんの躊躇いもなく仰向けになったものの曇っていたのでつまらなかった。ただ外国の地を背にして黙しているとなにやら孤独を感じずにはいられなくて小さく歌を口ずさんだ気がする。アジア人のスタッフは少なかったので誰かに目撃されていたら危なかった。

イギリスに留学していた時。芝生に寝転ぶことがごく自然の環境。咎める人間もいないし汚したくない服は持っていないに等しかったため、大学でも出先でも芝生を見つけたら隙を見て横たわった。そもそも晴れていることの方が少ない国なので、たまたまテスト期間明けに快晴の日があったりすると、キャンパスの中でも一番上等な芝生帯(湖が見える)は学生でいっぱいになった。鴨が生息しているので各自フンには気をつけた。

その最たる享楽は大学の行事として存在するほどだ。6月上旬の学期末、試験や最終課題のために費やされた(または少なくとも費やされようとはした)地獄の1ヶ月は終わり、留学生は帰り始める時期。エンドというまさに終わりのためのイベントは、簡単に言うとキャンパスを野外パーティー用に開放して昼から晩まで呑んだくれるという世紀末のような取り組みだった。

学内のストアにはいつもの5倍ほどのアルコールのストックが用意され、複数あるバーはどこもてんやわんや。最寄りのスーパーからありとあらゆる酒類が消える。コミュニティごとに参加する学生が多いため、いかに効率よくアルコールをストックできるかがグルーヴを左右した。

サンサンと降り注ぐビタミンDを全身に受けながら、昼から人と話したりちょっと休んだりするために広い芝生を右往左往。住んでいた寮が芝生からアクセスの良いエリアにあったため、倉庫担当になっていた。お酒が飲めてよかったと思う。一日、エンドのエンドたる部分を大いに楽しんだ。最後の最後にまた友達が増えた。

古いカーテンをピクニックシートのように芝生に広げて、そのそばに集う人たちの顔は忘れたくないと思った。帰国まで2週間ほどしかなく、もう二度と会えなくなるかもしれない人たちはお互いに力を込めて握手したり抱き締めあったりしていた。こういう文化がうちの国にも存在すればいいのにと思う。抱き合うこと、触れることは出会った証だ。

夜の帳が落ちてなお、学生たちは芝生に集い、酒を飲み、歓談し、二度とない今日を謳歌した。煙草やウィードのスモークで夜空は薄ぼんやりしていた。

 

こんなものだから日本に戻ってきて すっかり英語が使えなくなってしまってからも、いい芝生を見ると寝転ばずにはいられない。おすすめは横浜の象の鼻パークです。