朝のコインランドリー

洗うものは山ほどあるんだけど

ここにある身体だけがほんとう

 

 

大学を卒業し2週間、企業に勤めるようになってから丸10日経過した。交叉路に出たという感覚がある。

私が学生のときに大事にしていたものは、かいつまむと尊厳と尊重であった気がする。人間としての尊厳だけが内にあり、同じように目の前の相手の知ることのない内側を尊重することで、不干渉の線引きを守ってきた。もちろん最初からずっとできていたわけではなく、ボーダーを超えて警鐘を鳴らされることが何度もあり身に付けた術だが、できていたことができなくなりそうな予感がしている。

優先順位の一番上が自分の身体ではなくなってしまったという感覚はもうずっとある。金曜日に配属が決まってからはもっと強くそう感じる。〜としての という枕詞がどこにでも付いて回る。私は私のままなのに。

出自も性も私の選んだものではなく、しかし所属は縁や運に導かれながら自らの手で取ったものであるがゆえ否応なしに名前より先に立つカテゴリー、それを、掌で触れられるほど側に見ている。

透明な容器に入れられたみたいだ。息苦しい。