朝のコインランドリー

洗うものは山ほどあるんだけど

言葉を食べて生きるものたち

 

手を絡めて温度を分け合いながら思った。私たちはまるで狐や猫のような小さな哺乳類だけど、毛の色が似通っていたとしても種はきっと異なる。
缶コーヒーや傘を手にして歩く時、冷え性の人は体の前で祈るように指を組む。

11mmの煙草は思ったよりも煙が出て喉にこもったけれど、むせるほど慣れていないわけでもなかった。白い雲みたいな輪郭の断片を吐き出す向かいの席の横顔を見ていたら、今まで気づかなかった瞳の色の明るさ。緑がかった茶色。綺麗。

文字によるコミュニケーションの良いところは、答えたくない問いや応じたくない誘いには返事をしなくても差し支えのない点にかぎる。巧みに話題を逸らし、相手の球を無力化する。顔を見て行われる会話において無効化した言葉は宙を彷徨い暫くとどまるけれど、テキストは読み飛ばされた小説の一節みたいに目に見えない。
都合の悪いことは軽やかに読み飛ばしてきた私たちが会って話せば、プランクトンの死骸みたいな透明な言葉の塵にすぐ埋もれてしまう。