友達から感謝の言葉をかけられた。
そのあとで、彼女は私の行ないを書き留め、改めて感謝の言葉を綴っていた。
言葉で抽出できるものは限られていて、不純物が混じるくらいなら沈黙がベターであることも多い。と最近は思う。
ただ、やはり語るという行為そのものがダイナミズムであって、その熱が伝えるものは言葉以上の何かなのだ。
そして沈黙とは、勝負から降りることなのだと思う。
わたしは何か言われても黙らない子だった。絶対に、何か言い返した。そうでないとあとで悔しくて堪らなくなるからだ。
でも、癖となった“しっぺ返し”は一言多い、素直じゃないと評価され、どうやら私という人格のマイナス要素になるらしかった。
クソ食らえだ。
くだらないジャッジでわたしの口はちっとも減らない。そんなものはわたしの口を塞がない。
わたしは黙らない、必要だとわたしが思ったときに言葉は紡がれる。
とはいうものの、乗らなくてもいい勝負と譲れない勝負の見分けくらいはするべきだと考えるようになった。
そうだねぇ。