朝のコインランドリー

洗うものは山ほどあるんだけど

コーヒーとサヴァラン

 

お腹が空いたのでベッドの上でサラダを食べています。

 

 

先日のジュンク堂の話の続きを書く。

約10000円分の書籍の入った白い紙袋をデート相手に持たせてコーヒーを飲むため移動する。ベローチェのピーナッツサンドが食べたかったのだけど近くの店舗は満席だったから他の場所へ行くことにした。少し考えて洋菓子タカセへ向かう。タカセは大正9年創業のパンを製造販売する会社で、昭和に入ってからレストラン経営にも手を広げている。池袋本店はホームページを見る限り30年の歴史がある。ビルの1階にパン屋、2階に喫茶室、3階にレストラン、9階にコーヒーラウンジがあって 私たちは2階に行ってみることにした。

池袋駅東口を出て少し目線を上に向けると洋菓子タカセの看板が見える。池袋に通学するようになってから何十回、何百回とビルの前を通り過ぎてきたが、パン屋以外の敷地に足を踏み入れるのは初めてだった。

喫茶室は、なるほど喫茶店というよりは喫茶室という規模感で壁紙や照明の種類もどことなく池袋の他の喫茶店とは違っているように見えた。空いたばかりの窓際の席が片付けられるのを待ってコートを脱ぐ。メニューを開いてゆっくり注文するものを決める。こういう場所に来るとどうも煙草を吸いたくなるけど、相手は喫煙者ではないし私も自分では煙草もライターも持ち歩かないので灰皿は片してもらった。

コーヒーが運ばれて来るのを待つ間、先ほど購入した本を二冊取り出してそれぞれ時間をつぶす。友達は旅行雑誌が気になっていたようなので貸してあげて、自分はエッセイを読んだ。ほどなくして飲み物がテーブルに置かれたのでどちらともなく本は仕舞ってカップに手をかけた。一人なら本を読みながらコーヒータイムもいいけど一応デートなので会話をする。内容は他愛もないことだった。窓からは西武デパートが見えたので、先日炎上した広告について もうすぐ業界人になる立場からどう思うのか と問いかけてみたら、何と炎上のことも知らなかった(SNSをやっていなかったら当たり前かもしれない)。しばらく卒業に際するさまざまな事柄について会話した後、思い出したように英語の文章の添削をしてほしいと頼まれた。高校生の頃 2週間ほどオーストラリアでホームステイを経験して以来、綿々と文通を続けている老人がいるそうなのだ。以前その話をしたことがあって、就活の時期にも少しだけ文法の手直しをした。今回の分はもう少し手を入れて欲しいとのことだったので、普段塾の生徒にしているみたいに添削してあげた。英作文の添削というよりは国語の時間の作文指導に近かったかもしれない。英語の授業で行なうコンポーズは、生徒が辞書なしで使える実用性の高い語句で構成することに重きを置き、あまり相手が伝えたいことを忠実に再現することはない。対して国語の作文では、本人たちの意見や思考をとりあえず言語化する必要があるために、なるべくその感情に見合った言葉を繕うことになる。どちらかというと翻訳の作業に近いのは後者だ。

ところで私の友人の英語力は、中学三年生の担当生徒よりも少しだけ語彙が勝るという点においてのみ評価できるようだった。英語の授業をやってほしいと言われた訳じゃないので伝えることは何もないが、大学一年次にライティングを教えてくれていたアメリカ人講師に彼の原稿を見せたら頭を抱えてしまうかもしれない。(友人とは同じクラスだった)

本人もそれを自覚していて私の好きなように直していいと言ってくれるが、手紙というメッセージ性の強い文章を他の言語で書き起こす時、やはり送り主の本意に沿った言葉である必要がある気がして慎重になる。ゆえに時間がかかった。

言葉をひとつひとつ点検するように呟きながら目で追っていると書き手の心に直に触れているような気持ちになる。家族のことなど私や大学の知人とは普段話さない些細な、しかし私的な話が書かれていたので他者にそれらを開示する勇気に小さく感心した。神経が図太いのかもしれない。

私の方の用事が時間を押していたので、直しきれなかった分はまとめてデータで送ってもらって後日電話をしながら修正した。忙しいのか暇なのか微妙な卒業間近の大学生の為せる技だ。多分しばらく頼まれない用事だと思うが、手紙の返事がオーストラリアから届き、その返事を書く頃になったら友人は私のことを思い出してひょっこり連絡してくるかもしれない。私が酔っ払って電話をかけるのが先だろうか。