朝のコインランドリー

洗うものは山ほどあるんだけど

jam

 

 

自己の連続性について考えさせられている。

確かに過去は現在を経由して未来に向かっているはずなのだけれど、果たして主体は一貫しているのだろうか。

永く私は、人生を歩むのは自らの足でと考えていた。幾筋にも分かれうる道の真ん中を踏みしめて前進しているのだと。

 

 

他県へ免許合宿に来ている。内定先の都合で、今年中に普通自動車の免許を取得する必要があったため、家のそばにあるドライビングスクールではなく、片道2時間かかる工業都市に位置する教習所の15日間合宿プランに参加した。今考えれば近所の方で十分済んだと思う。

ここでの生活は思ったほど悪くない。期待値以上、天国未満。無機質な部屋で寝て、起きて食堂で人とご飯を食べる。中学生のように教科書を開いて授業を聞く。上の空でピンクのマーカーを引く。

教官たちは多かれ少なかれ、地域特有のくせのある喋り方をする。特に学科を担当する二人の教官は高齢であることもあり、まさか自国にいて字幕が出ればいいのになどと思いながら座学を受講することになろうとは予期していなかった。(文節の聞き分けに苦労しているだけなので辞書的な理解不足はない)

 

一見刺激のない退屈な日々を送っているように思われるかもしれないが、私にはちょうどいいくらいかもしれない。過剰に要素が陳列する都市生活、また血縁や地縁などの縛りからするりと抜けてのらりくらりとどこまでも住み着いていけそうだ、などと考えていたら試験に落ちて延泊になった。バイトのシフトを休む連絡を二本入れた。

 

 

 

さて人生は徒歩か車か。ちなみに自転車は軽車両といって法律の上では車扱いされている。

タクシーやバスなどの旅客車に乗っている可能性だってある。

結局そこに意思なんてないのだ。

容れ物だけが代わり、魂は運ばれるだけ。

駐停車禁止の一方通行。車なんて乗り捨てて、道の真ん中で寝っ転がっていたい。