朝のコインランドリー

洗うものは山ほどあるんだけど

喋れども喋れども

 

 

喋れども喋れどもという国分太一主演の日本映画がある。浅草が舞台の話で、落語家である主人公が話術の体得に苦心しながら、落語の教室を開いて話し下手の人間を育てる話である。話し下手を治してくれるという落語家のトークレッスンに参加する生徒は3人。無骨なサラリーマンと無愛想な女の人と大阪から最近引っ越してきた小学生の男の子。皆それぞれ、コミュニケーションを取る事がうまくできなくて生活の中で苦しんでいる。落語家自身、自分の噺をお客さんに聞いてもらえないという悩みを抱えていて、トークレッスンの参加者は「喋る事」を鍛えて誰かとのコミュニケーションを達成しようとする。

この話の肝は喋れども喋れども、想いが相手に伝わらないという所にある。生徒のひとりである女性に惹かれてゆく落語家は、言葉を連ねても彼女に気持ちを伝えることができない。

言葉は水みたいだ。

 

もう先週の話だが、お喋りをやめられない日が2日続いた。お喋りをやめられない、というのは文字通り言葉が口から溢れ出すのが止まらないのだ。今までそんな経験はなかったから驚いたし怖かった。

誰彼かまわず相手にひたすら話続ける。ひとりで行動し、話す相手がいない時はツイッターで文字を打つ手が止まらない。ポンプが壊れた井戸のようにザバザバと吐露が続いた。疲れても喉が痛み始めても言葉は流出する。言葉を紡ぐたびに脳がモーターのように唸りながら熱を帯びる。熱は身体中を毒してわたしは寝付けない。

寝不足の朝からこの症状が始まったので、2日目の昼間からは体力的にも限界が見えた。アルコールが入っても眠気は一向に訪れないので驚きだ。打つ手がなかった。

 

ふと思い出したけど高校生の時にも似たような事があった覚えがある。その時はどうしたんだったか。その時は相槌がうまいクラスメートに話し相手(聞き手と言って差し支えない)になってもらい、徐々に症状は治まったはずだ。

あれは受験期だったはずだから、やはりストレスを感じる時期特有の現象なのだろうか。就職活動中の身は耐えられないほどではないけれど生き延びられぬほどの苦しみなのかな。そんな大げさな。

 

そういえば検査してもらったら、血液濃度が濃いらしいからこの夏は水をたくさん飲もうと思う。