朝のコインランドリー

洗うものは山ほどあるんだけど

transit/ interval

 

 

大学時代というものは

 

大学時代というものは、飛行機の乗り継ぎを待つ時空間に似ていると思う。

人によっては、学府にも企業/法人にも所属しないいわゆるニートの期間がそれに当たるかもしれない。

もっと細かく区切る人であれば、1年間の交換留学だったり1ヶ月間の夏季ボランティアがそうなのかもしれない。

 

ともかく、ある地点からある地点へ移行する事のみを目的化して過ごすスペースタイムがこの世の中には存在する。

 

就職活動をしていると、まれに大学受験の記憶が蘇るタイミングがある。

説明会を聞いてメモを取るとき、募集要項を目で追うとき、面接会場の建物に入って行くとき。

フラッシュバックは非常にランダムでいて一瞬だ。

未成年と成人のフェーズであり、学生から社会人への、制服からスーツへのトランジット。

 

言い方を変えれば、大学時代というものは、人生という喜劇の幕間なのかもしれない。

起承転結がどう効果的に配置されているか、幕間で決定するわけではないものの、流動するプロットがどう完成するかは、インプロヴィゼーションにおいては、短い幕間こそ分岐点になるのでは。

 

 

 

 

面接と説明会と授業の合間に生活する日々だ。

4月も半ばを過ぎ、就職活動を終えた学生もちらほら現れる中、内定はまだない。

出たら出たで気が緩みそうなので、第一志望の業界に縁があるなら今はなくてもまぁいい。

 

朝5時、数少ない在学中の知人に電話をかけESを手伝ってもらう約束を取り付ける。

前回手伝ってもらった時は黒のトレーナー姿でやってきた知人は今日、ネクタイを締め、ピカピカの靴を投げ出すようにしてパソコンの前に座っていた。何を着ても様になる美形だ。

私の用事が済んだ後、相手のESを添削した。

彼はSNSをやらない人間なので、私以外の対象に向けられた彼の言葉を読むのはほとんど初めての経験だった。

私たちは文学部だ。彼とは大学入学当初からそれなりの距離を保って付き合いが続いているが、彼は私の倍以上の本を読み、3倍程度の映画を観る。小説の一節を急に暗唱することもある。私は彼の教養と、何を考えているかわからないところを好ましく思っていた。

さて、いざ文章を読むと、散漫した混乱が手に取るように伝わってきた。何かを表現する時、同じ趣旨の事を述べるのであっても言い回しが変われば印象も変わる。

強いイメージを与えたいのであればそれなりに強い言葉を使うべきだし、少しくらい濃度や照度を上げたストーリーテリングが必要となる。間に合わせの志望動機や通り一遍な回答は埋もれてしまう。

 

人の書いた文章に手を入れる事は好きだ。校正はその人の身体に触れ、それらを解体し、整頓する作業だ。自己表現が最終目的でない文章、の校正をするならば、気恥ずかしさを越えて価値が生まれなければならない。私は人の文章を見るとき、自分の作文に取り組む以上の働きをする。

困ったのは鉄板の質問の方だ。

学生時代頑張ったことは。自己PRは。

友達は部活の事しか書いていなかった。むしろヨットという競技については書かれていても、彼のイメージがひとつも伝わって来なかった。抜け殻。ここまで自分のことを語るのが苦手な人も珍しい。

 

じゃあ、自分のことを語るのが巧みな人とはどうなんだろう。自己意識に優劣などないけど、自分の人生を俯瞰して物語を再生産できる事は果たして良い事なのだろうか。

 

ゴールデンウィーク。明ければまた日常。